(7)達弥西心のわかりやすい話「見極め」

達弥西心のわかりやすい話「見極め」

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(3/6) - HMU 達弥西心

このことを、私はいろいろな体験を通して教えられました。この気付きが実は一番大事なことではないかと思います。

どうしても片方に偏って、お金だけとか仕事だけとか、必ず「だけ」になってしまうのですが、体に何か起こること、お金に支障をきたすこと、モノがどうなるということは、すべて目に見えないところに原因があって、それが目に見えるモノを通して、原因は目に見えないところにあるということを教えてくれているのです。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(2/6) - HMU 達弥西心

しかし大事なことはその逆のことで、見えるモノがあるおかげで見えないものが見えやすくなる、ということです。モノがこうやってあるから、その向こうにある見えないものが見えるようになるということです。つまり大事なことは、この目に見えるモノの向こう側に見えないものがちゃんとある、ということなのです。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(1/6) - HMU 達弥西心

私たちは有り難いことに目に見えるモノが見えます。しかし目に見えるモノが見えることで、見えないものが見えなくなるのです。目に見えないものは見えないに決まっているではないかと思うかもしれませんが、目に見えるモノが見えると、かえって目に見えないものが見えなくなるのです。目に見えるモノしか見えなくなる、目に見えるモノが見えたらそれでいいじゃないかと思うようになるのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(6/6) - HMU 達弥西心

こころというと、定義が分かりにくいと思います。感情も普通は心と言いますし、それから頭で考えることも心と言いますし、欲望も心と言っています。でも本当の意味のこころというのは、「本当の自分自身の意思」です。本当の自分自身がどう思うのか、どう思っているのかということが大事なのです。ぼんやりとしたものではなく、はっきりとしたものとして自分自身というものがあり、それがこころなのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(5/6) - HMU 達弥西心

体は、私たちが認識している部分、これをたいてい自分と呼んでいることが多いものです。自分の体、自分とは目に見える体のことを指します。目に見える世界では、体を張って競うという傾向になっています。

しかし大事なことは、この体の中に目に見えないこころが入っているということです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(4/6) - HMU 達弥西心

ということは、人間の体の中の大事なことは、脳も含めた体という目に見えるモノに、目には見えないこころというものが入ってはじめて人間という、「人」というものに成っていくということです。

人は何でできているかと問われて、「水分や・・・」という答えでも構わないのですが、もっと大事なことは、目に見えるモノと目に見えないものとでできている、からだとこころでできているということなのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(3/6) - HMU 達弥西心

机とか椅子も全部モノです。しかし、机や椅子はそれを作ろうと思った目に見えない念(おも)いがあって、その目に見えないものと目に見えるモノが一緒になって出来上がっているのです。この目に見えるモノ形ある物体と、目に見えないものが一緒になって、この世はできているのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(2/6) - HMU 達弥西心

目に見えるものをモノと呼びます。ということは、体は目に見えるモノですし、手に取ったりすることができるものということは、脳でさえモノなのです。だから、手、足とか鼻、目という体の部分も全部モノなのです。モノは使うものです。手や足を使う、鼻や目や舌も使うものです。脳もそうです。使うものです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(1/6) - HMU 達弥西心

この世は目に見えるモノと目に見えないものでできているのです。目に見えるモノと目に見えないものということですが、人間の体は目に見えるものですから「モノ」だということです。

モノという定義は、何かこころのないもの、物質的なものというふうに思いますが、そうではなく、形のある物体、つまり目に見えるものを「モノ」と呼んでいるのです。

●変化し続ける(4/4) - HMU 達弥西心

成長するためには変化することしかありません。変化なくして成長することは絶対にありません。時間の経過とともに、いつもプラス方向へ変化しなければなりません。プラス方向への変化だけを成長と呼ぶのです。マイナス方向への変化を堕落といいます。プラスマイナス方向へは現状維持といいます。

成長するためには、プラス方向へ変化、変化、変化、絶えず変化しつづけることです。

●変化し続ける(3/4) - HMU 達弥西心

この変化があなたにとって都合が良いのか悪いのか、天はそれはどちらでも良いのです。要するに、激しく変化させてつまり激しく揺さぶって、決意を見られているのです。大きく揺れるこの場面で、あなたはいったいどうするのか、です。

●変化し続ける(2/4) - HMU 達弥西心

あなたにとって良い方に変化したときは、感激して、天に感謝すればいいのです。しかし、あなたにとって悪い方に変化したとき、あわてたり、ふてくされたり、逃げ出したり、放り出したり、誰かを憎んだり、恨んだりするようでは、まだまだです。幸せはどんどん遠くなります。

大きく心が揺れています。ということは、大きく、激しく変化しているということです。

●変化し続ける(1/4) - HMU 達弥西心

人はみな自分にとって思いがけず良い方に変化したとき、思わず感激し感謝します。しかし自分にとって思いがけず悪い方に変化したときはどうでしょう。

あわてはしませんか。逃げ出しはしませんか。放り出しはしませんか。

あなたが幸せになれるか、なれないかの違いは、思いがけず変化したときのあなたの態度です。

●お互いの正しさ(5/5) - HMU 達弥西心

問題解決の糸口は、中に立ったあなたではなく、当事者であるAさんとBさんの二人が、その主張の食い違いを、お互いにどう修正しあうか、にあります。

これは、中に立つ者としての心得です。この態度こそ、裁いて判定するのではなく、淡々と認め定める認定の姿勢なのです。

●お互いの正しさ(4/5) - HMU 達弥西心

ですからこういう場合、Aさんの主張を聞いて、「うん、Aさん、あなたの言うことは分かった。それじゃあBさんにも聞いてみるから」と応じるのです。そしてBさんの主張を聞いて、「うん、Bさん、あなたの言うことは分かった。それじゃあAさんに伝えるから」と、真ん中に公平に立つのです。この態度が肝心です。

そして、お互いの主張のポイントを「Aさんはこう言っている。Bさんはこう言っている」と伝え、ここにこんな食い違いがあるんだと、端的に指摘するのです。

●お互いの正しさ(3/5) - HMU 達弥西心

では、どうすればいいのか。

AさんとBさんの間に立ったあなたは、どちらも正しく主張していることを、あなた自身がまず充分に認識することが、肝心です。

たとえば、Aさんの話を聞いて、「Aさん、あなたの言うことが正しい」と告げてしまうと、Aさんは相手のBさんの主張が間違っていると、あなたに判定してもらったと受け取ります。

逆の場合も、またしかりです。

●お互いの正しさ(2/5) - HMU 達弥西心

AさんとBさんはお互いに正しいと思うから、二人は喧嘩しているのです。お互いに正しいと信じているからこそ、お互いに勢い良く喧嘩するのです。間違っていると知りながら、主張し合っているのではないのです。

こんな場合、中に入ったあなたが、ときどき間違った態度を取ることがあります。

裁判のように、つまりどちらが正しいかという判定で、お互いを裁いてしまう、そんな間違った態度をとってしまうことがあります。

●お互いの正しさ(1/5) - HMU 達弥西心

こんなことは、ありませんか。

Aさんがあなたにこう言う。Bさんはあなたにこう言う。AさんとBさんは互いに、自分の正しさを主張して譲らない。あなたは中に入って困っている。こんな場合、あなたはどうしますか。

AさんもBさんも、どちらも正しいのです。どちらかが間違っているのではありません。どちらも、自分の存在を、あなたにアピールしているのです。中に立っているあなたに、お互いに、自分の主張の正しさ、自分の存在を認めてほしいと、懸命にアピールしているのです。

●望まれる生き方(5/5) - HMU 達弥西心

つまり、取り入れるのではなく差し出す、求めるのではなく惜しみなく与える、伝える、施す、託していく、それがどれだけできるか、です。

●望まれる生き方(4/5) - HMU 達弥西心

私たちは、自分にとって都合の良いもの、自分に入って来るものは、貪欲に取り込んだり求めたりします。しかし、自分に入れてはいけないもの、入れない方が良いもの、自分が求めてはいけないもの、求めない方が良いものも、沢山あることにも気が付かなくてはなりません。

●望まれる生き方(3/5) - HMU 達弥西心

私が果たすものは何か、私が差し出すものは何か、私が託すものは何か、と、突き詰めていくとき、正味の自分がいったいどれだけのものだったかが、次第に見えてきます。

●望まれる生き方(2/5) - HMU 達弥西心

人生のテーマが、目指すもの、なりたいもの、得たいモノ、欲しいモノ、でないとしたら、いったい何でしょうか。

果たすもの、差し出すもの、託すもの。自分の使命や役割を果たす、自分が持っているもので使えるものはどうぞ使ってくださいと自ら進んで惜しみなく差し出す、自分でやりきることができなかったことは後に列なる人たちにどうぞ頼むぞと託す。

そういう生き方こそ、お天道様の望まれる生き方なのです。

●望まれる生き方(1/5) - HMU 達弥西心

目指すもの、なりたいもの、得たいモノ、欲しいモノ。知恵をしぼって、頑張って、チャレンジしてみる。力を出して、闘ってみる。

けれど、頑張れば頑張るほど遠くなっていくような気がすることがあるでしょう。何かが違う、どこかが違う。根本的に違っているかも知れない、スタートラインの位置から違っていたのかも知れないなと、ふと思うことがあるでしょう。

その「ふと思うこと」、・・・正解だったりするのです。

●人生の正解 - HMU 達弥西心

間違えたくないあなた、人生において正解というもの、それはいったいどんなものでしょうか。どんな分かれ道でどんな選択をすれば、正解なのでしょうか。

幼稚園はどこに入れば正解ですか。高校はどこが正解ですか。大学は、就職先はどんな選択が正解ですか。どこまで出世すれば、どれだけお金を貯めれば正解ですか。対人関係は、結婚相手はどんな人を選べば正解ですか。

人生に正解というものは、ありはしないでしょう。それなのに、あなたは間違えたくないと思っている。そう思って、他の人に相談している。

もともと正解なんてないのですから、他の人に正解が出せるはずがないのです。正解があるとすれば、「本当は、この私は、どうしたいと思っているか」だけなのです。純粋に自分に聞いて、自分で決めたことだけが、自分にとって、正解なのです。

世間の常識だとか、普通だとか、あてにならない実にあいまいな基準に、自分の「ほんとうの気持ち」をむりやりに合わせて窮屈に生きることが、どれだけ人生に失望とあきらめと、迷いと悩みと、苦しみと悲しみをもたらしているかを思ってみてください。

●迷ったときは - HMU 達弥西心

迷いはじめたら、「本当は」「私は」「どうしたいと思っているか」と、自分自身に聞いてみてください。胸に手をあてて、声を出して、「本当は、本当の本当の本当は」「私は、他の誰でもなく、この私は」「どうしたいと思っているか」と問うてみてください。

すると、答えは出ます。たった一つの答えが出ます。答えが出たら、誰にも一切相談せずに(ここが重要です)、自分でそのように決めて、そのとおりに動き出せば、それで良いのです。

間違えたくないと、あなたはたぶん思っているでしょう。しかし、人生において間違いというものはありはしないのです。

●悩みを解決する(2/2) - HMU 達弥西心

要するに、この、こころの葛藤を解消すれば良いのです。そうすれば、迷いも、悩みも一瞬にしてなくなります。

どのようにして解消するか。

解消する方法は二つです。ひとつは、頼っては駄目なんだと思わないこと。そんなこと一切思わず頼り切ってしまうことです。すなわち自分の考えの入る余地はありません。

あるいは、頼っては駄目なんだと思っているのだから、一切頼らないことです。

おわかりでしょうか。ともかく自分の中に矛盾を抱え込まないことです。

当たり前と思われるでしょうか。しかし、現実に矛盾を抱え込んで苦しい思いをしているのは、あなた自身です。

●悩みを解決する(1/2) - HMU 達弥西心

ところが、簡単にいかないのが人生です。「わかっているけど、でも・・・」となってしまうのはなぜでしょう。

人間って、なぜかいつも不安ですよね。いつもこれでいいのかなあと思っています。何かに、誰かに頼りたいと、いつも思っています。

でも頼っては駄目なんだと、何となくわかってもいます。

問題はここからです。頼っては駄目なんだとわかっているのに頼っているから、それが迷いや悩みになっているということに、あなたは気づいていたでしょうか。矛盾していることをやっていると迷いが生じるのです。その迷いがだんだん悩みになっていくのです。頼っては駄目なのに頼っている。これが矛盾です。それが、こころの葛藤になります。これがストレスの原因です。

●人生は悩むもの? - HMU 達弥西心

人生に悩みはつきものでしょうか。悩みはあって当然、人間だから仕方ない、とあきらめきれないのも人間です。できれば、何の悩みもなく、すっきりと気分爽快に生きてみたいと、誰でも本当は思っているのではないですか。

悩んでいる人は、実はどちらを選べば良いかの答えを知っている人です。その答えを、(こころは)充分知っているのに、アタマで一生懸命考え、いろいろな人の意見を聞いたあげく、何かの事情でそちらを選べなくなった人が悩んでいるのです。実にぜいたくで無駄なことです。

話は簡単です。どちらを選べば良いかわかっている。その答えのとおりに選べば、悩みは一瞬のうちに消えてなくなります。人生、話は簡単なのです。

●奇跡 - HMU 達弥西心

今こうして生まれてきたこと、こうして生きていることが、奇跡である。

私という存在が、今日もここにあるということが、すでに奇跡である。そう、存在そのものが奇跡なのだ。だから、私たちのまわりにはたくさんの奇跡が起こっている。

しかし人間は、自分にとって都合の良い奇跡だけを取り上げて、奇跡だ奇跡だと騒ぐ。やがてすぐに、その奇跡も、あたり前に思うようになる。さらに、もっと自分にとって、都合の良い奇跡が起こらないかと期待するようになる。

重要なことは、自分にとって都合の悪い奇跡も、自分にとって都合の良い奇跡と同じくらいに、たくさん起こっているということである。

奇跡は、人間誰にでも、平等に起こる。都合の良い奇跡は励ましであり、都合の悪い奇跡は修行である。都合の良い奇跡と都合の悪い奇跡は、同じ数ほどある。

要するに、自分にとって都合が良いと思うか、都合が悪いと思うかで、その奇跡がどちらかの奇跡になるにすぎない。

HMU 達弥西心

●奇跡が起こらないことが - HMU 達弥西心

奇跡というものは、ときにはオマケみたいな励ましであったり、ときには奮起のきっかけであったりします。

いわば、試練が裏の顔で、奇跡が表の顔のようなもので、二つは切り離せないものです。

試練を淡々と説いていく。その合間合間の奇跡を、励ましや奮起のきっかけと受け止めることです。大騒ぎするのでなく、淡々と、受け止めてください。


試練を嫌がり、奇跡を追い求めている人は、遠まわりにならないよう気を付けてください。

奇跡が起こらないのが、もっとも大きな、もっとも重要な奇跡です。

HMU 達弥西心

●今月最後の日 - HMU 達弥西心

月がきれいだった。沖縄の月は?東北の月は?京都の月は?そしてなぜか佐賀の月は?などと想いながら、虫の声が聞こえる大濠公園を歩いてきた。

明日は飛行機で名古屋へ飛ぶ。

今月最後の日。たのしい毎日。

みんな、がんばって生きてる、よね?

HMU 達弥西心

●結局どうする さてどうする - HMU 達弥西心

まず、最初に最後のことを考えるのです。ラストシーンを最初に描くのです。
結局どうするかが決まると、さてどうするかと始まりの場面が自然に決まります。終着点、目的地をまず最初に定めて、そのあとで、そこへ到達するための手段を考えます。

イベント会場の案内板の前で、まず自分の現在地の確認をして、それから目的地を見つけるでしょう。最後に、その目的地までどんな順路をたどるか検討するはずです。旅行でも同じです。まず行き先を決めて、それからバスか、電車か、飛行機かと考えます。交通手段から先に決めることはしないでしょう。


人生においてはどうでしょう。

目的地も到達点も定めないまま、何に乗ってみたいかと交通手段ばかりに気を取られていませんか。

最初に最後のことを考えるのです。最後の到達点に立っている自分の姿を、あらかじめこころに鮮やかに描くことです。途中がどうであれ、結局はこのラストシーンにつながっていけば良いんだと、短絡的に考えるのです。そう思い込んでしまうのです。


それでも、もし失敗したらどうしよう、と不安になるものです。

そこで、次の手です。「最悪の事態を想定して、最善の手を打つ」のです。

一見、消極的ですが、最悪の事態を想定するという姿勢は、とても強気になれるものです。どんなに悪くても、想定したそれ以上には悪くならないのですから、あとは限りない希望を持って強気に押していくことができます。これほどのプラス思考はないでしょう。


結局どうする。さて、どうする。どうすると、見極め、自分自身に決意を迫ることから、いきいきと生きる、ほんとうの人生がはじまっているのです。


HMU 達弥西心

●過去を振り返るな 未来を見通せ - HMU 達弥西心

時の流れの中で、私たちの人生はつぎつぎに織り上がっています。

私たちの存在を決定づけているものは、時間です。この世に存在するモノには、すべて時間が与えられます。時間が与えられない存在というモノはありません。


時間とは、今という瞬間の連続です。現在という瞬間の連続です。

自分という存在に時間が与えられているということは、常に私たちは現在に立ち続けるということです。常に私たちは過去をつくり続けるということです。そして、常に私たちは未来を引き寄せ続けるということです。


しかし、私たちは現在にしか、生きることはできません。現在に存在することしかできないのです。

私たちがつくり続けた過去はすべて、それこそ過去の遺産なのです。だから、過去を振り返ってはいけません。振り返っても何の力にもなりません。それどころか、後悔の思いで過去を振り返るとき、現在持っているパワーまで落とさせてしまいます。

私たちが現在にしか生きられないということは、裏を返せば、現在にだけは生きられるということです。

そして、私たちに未来を見通すことができる能力を与えられているということは、現在に生きるためにこそ、その未来を見通す力をフルに使えるということです。
未来を遠くまで、できる限り遠くまで見通すことです。

未来を見通すことができるなら、いまここで、自分は何をしなければならないかが、少しずつ分かってくるはずです。


HMU 達弥西心

●その目をいっぱい見開いて - HMU 達弥西心

私たちは、ともかくこの世に生まれてきました。そして今、私たちはこの世に生きています。

この世に生まれてきたということは、生まれてきた理由があります。この世に生きているということは、生きている意味があります。
宇宙に存在するすべてのものには目的があります。目的のない存在は存在する理由も、存在する意味もないからです。

宇宙は、目に見えるモノと目には見えないものとで成り立っています。目に見えるモノの向こう側にはたくさんの目には見えないものがあり、目に見えるモノは目に見えないものが目に見えないところでつくりだしています。
存在もまた、目に見える存在と目には見えない存在とがあります。そして目には見えない存在は、目に見える存在に大きな影響を与えたり、目に見える存在をつくりだしています。

私たち人間のからだは目に見える存在です。こころは目には見えない存在です。
そして、こころがいのちの根源です。

HMU 達弥西心

●こころをあたたかく - HMU 達弥西心

そう。あなたが許してあげると思いきる、その何万倍もの愛で、あなたは許してもらっている。許してもらっているからこそ生きていられる。こころをゆるめよう。こころをあたたかくしよう。

HMU 達弥西心

原因と結果 - HMU 達弥西心

誰も知らないこころの中でどんどん原因はつくりだされ、つぎつぎに結果が引き起こされています。

私たちはその原因をつくりだすプロセスの一部始終を知っています。
結果は、原因がつくりだされれば、自動的に連鎖的に、きわめて自然に、引き起こされます。

そしてその結果だけを見て、まわりの人たちはもっともらしい批評をしてみせます。
原因を追求してみせます。
たいていその批評は外れています。

当然です。原因は誰にも見えないからです。

HMU 達弥西心

●それでなくても悲しい人生なのに - HMU 達弥西心

自分だけのために生きようとするから、ほらほら悲しくなってしまう。それでなくても悲しい人生なのに、こんなに悲しくさせている。あと何十年かの人生なのだから、誰かのためにいきてみるのもいいじゃない?思いやるのもいいじゃない?もらいっぱなしの人生だから。

HMU 達弥西心

●わざわざ窮屈に生きている - HMU 達弥西心

みんなが良くなるようにと、みんなのたった一つの喜びを追いかけて、天意に沿って手を打っていく、実践していく。生き方はそれしかないはずなのに、多くの人は自分だけのために生きようとする。付きまとう悩みや迷いの原因の多くはそこにある。わざわざ窮屈に生きている。

HMU 達弥西心

●予測できない人生の決まった分の幸せ - HMU 達弥西心

いつでも自由に動けるという幸せは、いつもは自由に動けないという悲しみを含んでいる。

決まった時にしか動けないという不幸せは、決まった時に必ず動けるという喜びが備わっている。

予測できない人生の決まった分の幸せ。

HMU 達弥西心

達弥西心のわかりやすい話「見極め」

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