(7)達弥西心のわかりやすい話「見極め」

達弥西心のわかりやすい話「見極め」

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(15/16) - HMU 達弥西心

たとえば、誰かにもらった贈り物をきちんとお返しをするという習慣を持たない、誰かの誕生日には毎年決まってプレゼントを欠かさないなんてこともありえない、どこかに旅行に行ってもお土産を買ってくるとは限らない、その代り、相手を思う念い、愛する念いはいつも純粋で熱くて、誰にも負けないと思っています。建前よりも本音を大切にする傾向をはっきりと持っています。念いを伝える、念いだけで人を動かすのが、得意分野です。

こんなBタイプの人を見て、Aタイプの人は不可思議だと思い、どうしても分からないと感じます。理解不能です。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(14/16) - HMU 達弥西心

わかりやすく言うと、自分を押し殺してまでも男っぽく格好良く生きていきたいとは思わない。逆に言えば、少々ダサくてもどんなに格好悪くても、真っ正直に本音で生きる生き方を貫き通したいのです。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(13/16) - HMU 達弥西心

Bタイプの愛とか念いは、どちらかというと女性的な、個人的な、あるいは個性的なはたらきを好むタイプです。心のおもむくままに動く、心で泣いていても顔では笑って、などというAタイプのようではなく、心が泣いているときは顔も泣いている、心が笑っているときは顔も笑っている、そのまんまに生きていく。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(12/16) - HMU 達弥西心

これに対してBタイプの愛とか念いとかは、相手がどう動こうと、自分に何もしてくれなくても一切関係ないのです。自分の湧きあがる愛とか念い、つまり純粋な本音だけで突っ走る、というものです。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(11/16) - HMU 達弥西心

ここで、Aタイプの恩とか義理、人情と、Bタイプの愛とか念いの、区別がつかない人もいるかと思いますが、Aタイプの恩とか義理は、先に相手から受けている、その受けているものを返す、あるいは返さなければならないと感じるものです。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(10/16) - HMU 達弥西心

そのBタイプです。Bのタイプの要素がもっとも大きく、70%以上を占めている人は、こころが愛とか念いとかを大切にするという、陰陽の「陽」の傾向を持っていて、愛とか念いという、心のおもむくままに本音一直線で動くという傾向を強く持っています。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(9/16) - HMU 達弥西心

このAタイプの人がまったく理解不能だとお手上げなのが、愛とか念いだけで動く、次のBタイプです。もっともBのタイプも、Aのタイプについて頭で考えればある程度は理解できても、本質までは理解が及ばないのは同じことではあります。Bタイプの人は、Aタイプの人には、正直なところ付いていけないとしばしば感じます。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(8/16) - HMU 達弥西心

モノやお金を動かす、またはモノやお金を介して人を動かすのが得意です。

ただ、この世で自分が仕えるべき「主」に出会うことができなければ、何のために生きているのか分からなくて、虚しくなってしまうという傾向を持っています。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(7/16) - HMU 達弥西心

たとえば、誰かにもらった贈り物はきちんとお返しをする、誰かの誕生日には毎年決まってプレゼントを欠かさない、どこかに旅行に行ったら必ずお土産を買ってくる、自分は困っていても義理は欠かさない、本音よりも建前を大切にする、などの傾向を、はっきりと持っています。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(6/16) - HMU 達弥西心

どちらかというと、男性的な、組織的な、あるいは軍団的なはたらきを好むタイプです。結束は固い、約束は守る、義理は欠かない、人情に厚い・・・。心で泣いていても顔では笑って、粋に生きていく。分かりやすく言うと、自分を押し殺してでも、男っぽく格好良く生きていく。逆に言えば格好良く生きていく。格好悪い生き方は絶対にしたくないのです。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(5/16) - HMU 達弥西心

Aのタイプの要素が最も大きく、70%以上を占めている人は、こころが、恩とか義理とかを大切にするという、陰陽の「陰」の傾向を持っていて、恩とか義理、あるいは人情という、過去に結んだ約束を果たすため、過去に受けた恩義を返すために動くという傾向の強いこころです。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(4/16) - HMU 達弥西心

この三つのタイプは、なかにはある一つのタイプの要素だけですべてを占めている人もいますが、たいていの人はそれぞれのタイプの要素をいくらかずつ持ち合っているものです。

さてあなたは、どのタイプの様子が最も大きいでしょうか。MAOしてみるとわかります。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(3/16) - HMU 達弥西心

そして、Cが、道徳や常識によって動くタイプです。この人は、「道徳や常識」、または「過去の経験」を基にして動く人です。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(2/16) - HMU 達弥西心

そして、Bが、愛や念(おも)いによって動くタイプです。この人は、この世を生きていくには「愛や念い」がとても大切だという価値観を持っている人です。

●思考パターン、価値観、行動様式のタイプ(1/16) - HMU 達弥西心

人間は、思考パターンや価値観、行動様式において、誰でもだいたい三つの要素のタイプに分けられます。

まず、Aが、恩や義理によって動くタイプです。この人は、この世を生きていくには「恩や義理」がとても大切だという価値観を持っている人です。

●うまくいっていようが いまいが - HMU 達弥西心

あなたが頭で考えてうまくいっているとか、うまくいっていないとか一喜一憂している、その間にも天のプロジェクトは着々と進んでいます。あなたが頭で考える「うまくいっている」という感覚はあてになりません。

要するに、あなたがうまくいっていようがいまいが、プロジェクトは着々と進んでいるのです。つまり天のプロジェクトはうまくいっているのです。

その天のプロジェクトを成功させるために真剣に働く人だけが本当にうまくいくような仕組みになっているのです。この世を見渡して見ても一目瞭然です。一生懸命努力している人が必ずしも成功し、幸福になっているとは限りません。そんな馬鹿な、と思われるでしょうが、天のプロジェクトを推進するためにはたらく人だけが成功し幸福になれるのです。

そういう意味では、天の法則はきわめてフェアな仕組みと言えるでしょう。

この世の逆境に遭っても、投げ出さずに頑張っている人を、世間では立派といいます。しかし、そのとことん逆境の果てに、やっぱりこの世的にうまくいかなかったとします。それでもその逆境を受け入れるかどうか、です。本当に立派なのかどうかは、最後の最後の態度しだいということになります。

●不満でとるか 感謝でとるか - HMU 達弥西心

あなたが仕事をしているとき、ふと「こんな仕事、何も私でなくてもいいのに」、と思ってしまう瞬間がありはしないでしょうか。

ある人が私にこんなことを言いました。

いままでは正直なところ、「こんな仕事、誰にでもできる。何も私でなくてもいいのに」としょっちゅう思っていました。けれど先日から、「こんな仕事、何も私でなくてもいいのに、わざわざ私にさせていただいている」と、突然そう思えるようになったんです。

不満な気持ちで受け止めていたのが嘘みたいに、感謝の気持ちで受け止めることができるようにならせていただきました。

「何も私でなくてもいいのに」という思いは変わらなくても、それを不満でとるか感謝でとるか、これは天と地の差くらいの大きな違いです。そしてもっと重要なことは、先ほどの言葉にもありましたが、「なった」のではなく、「ならせていただいた」、ということです。

うまくいったり、進歩したりすると、たいてい自分の努力だとか、自分の力だとか思いたくなってしまうものです。しかしほとんどの場合、自分の力はほんのわずかで、あとは他からの「引上げの力」をいただいて、上げさせていただいているのです。

俺はすごいんだ、私は素晴らしい、という自画自賛の人間賛歌もそれなりに結構ですが、すごいのは素晴らしいのは、自分の中のこころがすごくて素晴らしいのであって、さらに、そのこころの進化をすすめてくださっている天の存在が、素晴らしくて尊いのだということです。

●思いだけで突っ走ってきて - HMU 達弥西心

時の流れの中をただひたすらに“思い”だけで突っ走ってきて、季節の移り変わりにも心を留めることも少なかったのですが、記憶の片隅にある同じ場所の同じ場面に遭遇すると、どう生きていったらいいのか皆目見当もつかなかった学生時代が退屈すぎるほど時間がゆっくりと流れていただけに、社会に出て、さらに達弥西心になってからというもの、時間が幾重にも重なりながらぎっしりと詰まったまま重たく、しかも猛烈なスピードで流れていくようで、時間の重みとか密度というものを否が応でもずっしりと感じます。

時間という、誰にとっても一日二十四時間という、一見平等に与えられているようにみえる代物、しかし誰にとっても同じではありません。その人によって、時間は伸びたり縮んだり、粗くなったり詰まったり、遅くなったり早くなったりします。

実際に私自身の過去を振り返ってみても、時間はいつも決して一定の長さや早さであったことはありませんでした。時間は人それぞれで長さも密度も違うのです。

ただそう感じるだけだよと言っている人、そう言い切ってよいでしょうか。その観念は脳で考えたものではありませんか?

●出会いと別れ(2/2) - HMU 達弥西心

この世に生まれたということは、この世のすべての人この世のすべてのモノと出会うことの始まりです。この世と出会っているわけですから、この世のすべてと出会う可能性があるわけです。

しかしこの世に生まれてきたということは、必ずこの世と別れないといけないということです。出会った分だけ別れなければいけない、1000人と出会ったら1000人と別れなければいけないということです。これは普通のこと、その普通のことになぜ執着するのか、執着するから悩みになるのです。

そのように考えてくると、私たちが体を持っているがために、目に見えるモノが主体だと思ってしまい、そこからいろいろなことで悩みや迷いが出てくるということなのです。

●出会いと別れ(1/2) - HMU 達弥西心

普通のことの中に、出会いと別れ、別れと出会いということもあります。これも、この世ではごくごく普通のことです。「こころ」はもともとひとり歩きをしています。この世でもひとり歩きができるはずなのに、できないのは、モノであり幻である肉体がそういう欲望を持つからです。出会ったら別れたくない、別れなければ出会えないというのはすべて体の都合、幻の世界の都合なのです。

●目に見える結果と目に見えない原因(2/2) - HMU 達弥西心

因果の法則、見えるモノと見えないもの、何となくこの目に見えないものというものの理解はしていましたが、目に見えない主人公が「こころ」だということが分かって、そのこころの見えない世界でのはたらきが解明されるたびに、からだという幻の中に入ってこころは一生懸命はたらいているのだということが分かったのです。

●目に見える結果と目に見えない原因(1/2) - HMU 達弥西心

それから因果の法則です。

目に見えない原因があって目に見える結果が出てくるということ、その法則も特別なことではない、普通のことです。普通の暮らしの中でごく普通にやっていることです。

この「目に見える結果と目に見えない原因」は、私には最初の頃メッセージで教えらえた宇宙の法則でしたが、その深いところまでの納得には随分時間をとられました。

●普通のこと(5/5) - HMU 達弥西心

そういう体中心の生き方よりももっと大事なことは、目に見えないところに実はこころというものの修行があって、この幻であるからだをどちらへ持っていくか、そこに意味があるということです。人生の主人公は、主体は、どこまでも「こころ」なんだということです。自分自身との対話ということは、ごく普通のこと、この世を生きていくためには、自分自身との対話をしていかないとやっていけないだろうと思うのです。

●普通のこと(4/5) - HMU 達弥西心

この世を生きていたら、お金はたくさんあった方がいいし、おいしいものを食べた方がいいし、良い目にあった方がいいでしょう。けれどそれはもう全部幻の世界、だからどんなにやっても全部体の方を中心に生きていくと全部幻ということです。ここはとても大事なところです。

●普通のこと(3/5) - HMU 達弥西心

その、何にも無くなるために人間として生まれてきて、虚構のというか、幻のために生きてきて、そこで良かった楽しかった悲しかった苦しかったといっても、幻のためにやっていくのは意味がない、まったく意味がないし虚しいことです。

大事なことは、その幻をやりながらでも、幻の中にそして幻の向こう側にちゃんと、大事な大事な人生のシナリオがあって、それを我々はなぞりながら生きているのだと、その方に主体があるのだということに気付けということなのです。

●普通のこと(2/5) - HMU 達弥西心

暮らしが目に見えるところだけのものだとしたら、この暮らしというのはまさに幻です。この体があるうちにしか暮らしというものはないのですから、この暮らしは人間が終わってしまったらなくなるのですから、幻なのです。ほかの誰かが続ける暮らしはあるかもしれませんが、それはその人の暮らしであって自分の暮らしではないわけです。

●普通のこと(1/5) - HMU 達弥西心

もうひとつ、繰り返し教えられたことは、「このことは普通のことである、日常の暮らしの中で普通のこと、ごくごく普通のこと、誰もがやっていかないといけない、誰もが気付いて誰もが実践していかないといけない普通のことである。幻であるとか目に見えないものと目に見えるモノがあるというのは全部普通のことなのだ」ということです。

●みんなまぼろしを見ている(10/10) - HMU 達弥西心

結局は後になって、達弥西心になってしばらくした頃にお金に困るようにもっていって、「お金って大事だろ」といってくるのです。ここがすごいと思うのです。これを何度もいってくるのですが、私はそれでもモノというのは大切なものかもしれないけれど、私は目に見えないもの、心さえ磨いていけばよいのだと、どこかで思っていました。

●みんなまぼろしを見ている(9/10) - HMU 達弥西心

私が達弥西心として、いわゆる目に見えないものだけの提案をしていきたかったのです。目に見えるモノ、お金だとか不動産というものからは全部足を洗いたかったのです。目に見える世界のことはもううんざりだと思っていました。

目に見えないものだけを提案する生き方提案をやっていきたかったのですが、しきりに私の中から、目に見えるモノも大事なのだ、目に見えるモノがこの世になかったら、とても大事な目に見えないことさえ気が付かなくなるのだというのです。

●みんなまぼろしを見ている(8/10) - HMU 達弥西心

だから、たとえ幻であっても見えるうちに見えるモノを通しながら、目に見えないものに気付いていかないといけないということです。

これが私の最初の課題でした。私が達弥西心として目に見えないことを提案するためには、その前にある目に見えるものをなんとかしなくてはならなくなっていったのでした。

●みんなまぼろしを見ている(7/10) - HMU 達弥西心

この世は幻だからこそ意味がある、だから幻のうちに気付かなければならないことがあるということです。幻のうちに、モノがモノであるうちに気が付かないといけない、モノというものは無くなってしまったらもう何もなくなってしまうわけですから、目に見えないものさえ見えなくなってしまうということです。目に見えるモノがそこにあるから、まだその向こうに何かあるのではないかと思えるということであって、何もなくなってしまったら何もなくなってしまうということです。

●みんなまぼろしを見ている(6/10) - HMU 達弥西心

しかし、この世は幻だからこそ意味があるのです。消えてしまうからこそ意味があって、消えるモノがあるということは、消えないものがそこにまだあるということです。消えないものに気付かないといけない、消えないもの、それは目に見えないものなのです。見えるモノはいずれ消えるから幻なのです。一見、見えないものが幻みたいに見えるけれど、見えるモノが幻、見えるモノは崩れていく、見えるモノは幻なのです。

●みんなまぼろしを見ている(5/10) - HMU 達弥西心

だからモノだけで捉えると、本当にこの世は幻だなあと思うのです。確かにモノはここにあるのだけれど、あってもこれは何年かすればフッと消えてしまうものだし、と思うのです。やはり真の姿は何かと、まぼろしではない真の姿は何かと探し求めるのです。真の姿はいつまでも消えないから、真の姿を見ていかないといけないと思うのです。

●みんなまぼろしを見ている(4/10) - HMU 達弥西心

だからこそ大事なことは、そこに住む人の生き方を提案するとか、その人たちが幸せに暮らしていけるようにとか、そんなことでしょう。そこまで願わないと、そこに住まいを提供するというきっかけをつくった、家を提供するというきっかけをつくったということに、何の意味もなくなってしまうのです。

●みんなまぼろしを見ている(3/10) - HMU 達弥西心

たとえば私は不動産会社を経営してきましたので、建売住宅をたくさん建ててきました、あそこもここもと。初期の頃から数えるといろんなところに建てましたが、たくさん建ててきたからこそですが、私はモノだけで見るとやっぱりもう終わってしまったという感じがするのです。確かに当社が手掛けましたが、でも完成してその人に渡してしまうと、もうその人のものですし、この景色としてモノだけを見ると何の実績もないというか、やってきたというだけの話、経歴でしかないのです。

●みんなまぼろしを見ている(2/10) - HMU 達弥西心

とにかく、目に見えているこの世は、フッと息を吹きかけると一瞬にして消えてしまうもの、だから目に見えるモノの世界は非常に不安定な世界ということです。ろうそくの炎を吹き消すようにフッと一瞬にして消えるモノということです。フッと吹くことを英語でpuffといいますが、まさにそんな感じです。

●みんなまぼろしを見ている(1/10) - HMU 達弥西心

もうひとつ大事なことは、この世は幻だから真の姿に気付かなくてはならないということです。この世は幻なのです。みんなまぼろしを見ているのです。まぼろしの中に生きているのです。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(6/6) - HMU 達弥西心

ですから何かものを見て、モノはモノ、見えないものは見えないもの、と分けてしまうのはあまり良いやり方ではないように思います。この辺り、見えないものと見えるモノとの関係が分かることが一番大きな課題ではないかと思います。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(5/6) - HMU 達弥西心

しかし、見えるモノがあるおかげでモノがあるおかげで、見えないものが見えやすくなるということでもあります。つまりモノが壊れたり、不都合を起こしたりすることの原因は見えないところにあって、その見えないところに気付く、目がいく、すなわち見えないものが見えやすくなるということです。それはもう一つの捉え方です。見えるモノが見えるから見えないものが見えやすくなる、見えるモノがあるおかげで見えないものが見えやすくなる、ということです。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(4/6) - HMU 達弥西心

それがモノだけが見えるために、かえって見えるモノにこだわってしまうというのが一番目の話です。目に見えるモノが見えるから見えないものが見えなくなる、見えるモノにとらわれてしまうから、見えないものが本当はあるのだけれど、見えないものをちゃんと見ていかないといけないのだけど、残念なことに見えないものが見えなくなる、ということなのです。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(3/6) - HMU 達弥西心

このことを、私はいろいろな体験を通して教えられました。この気付きが実は一番大事なことではないかと思います。

どうしても片方に偏って、お金だけとか仕事だけとか、必ず「だけ」になってしまうのですが、体に何か起こること、お金に支障をきたすこと、モノがどうなるということは、すべて目に見えないところに原因があって、それが目に見えるモノを通して、原因は目に見えないところにあるということを教えてくれているのです。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(2/6) - HMU 達弥西心

しかし大事なことはその逆のことで、見えるモノがあるおかげで見えないものが見えやすくなる、ということです。モノがこうやってあるから、その向こうにある見えないものが見えるようになるということです。つまり大事なことは、この目に見えるモノの向こう側に見えないものがちゃんとある、ということなのです。

●見えるモノがあるおかげで 見えないものが見えやすくなる(1/6) - HMU 達弥西心

私たちは有り難いことに目に見えるモノが見えます。しかし目に見えるモノが見えることで、見えないものが見えなくなるのです。目に見えないものは見えないに決まっているではないかと思うかもしれませんが、目に見えるモノが見えると、かえって目に見えないものが見えなくなるのです。目に見えるモノしか見えなくなる、目に見えるモノが見えたらそれでいいじゃないかと思うようになるのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(6/6) - HMU 達弥西心

こころというと、定義が分かりにくいと思います。感情も普通は心と言いますし、それから頭で考えることも心と言いますし、欲望も心と言っています。でも本当の意味のこころというのは、「本当の自分自身の意思」です。本当の自分自身がどう思うのか、どう思っているのかということが大事なのです。ぼんやりとしたものではなく、はっきりとしたものとして自分自身というものがあり、それがこころなのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(5/6) - HMU 達弥西心

体は、私たちが認識している部分、これをたいてい自分と呼んでいることが多いものです。自分の体、自分とは目に見える体のことを指します。目に見える世界では、体を張って競うという傾向になっています。

しかし大事なことは、この体の中に目に見えないこころが入っているということです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(4/6) - HMU 達弥西心

ということは、人間の体の中の大事なことは、脳も含めた体という目に見えるモノに、目には見えないこころというものが入ってはじめて人間という、「人」というものに成っていくということです。

人は何でできているかと問われて、「水分や・・・」という答えでも構わないのですが、もっと大事なことは、目に見えるモノと目に見えないものとでできている、からだとこころでできているということなのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(3/6) - HMU 達弥西心

机とか椅子も全部モノです。しかし、机や椅子はそれを作ろうと思った目に見えない念(おも)いがあって、その目に見えないものと目に見えるモノが一緒になって出来上がっているのです。この目に見えるモノ形ある物体と、目に見えないものが一緒になって、この世はできているのです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(2/6) - HMU 達弥西心

目に見えるものをモノと呼びます。ということは、体は目に見えるモノですし、手に取ったりすることができるものということは、脳でさえモノなのです。だから、手、足とか鼻、目という体の部分も全部モノなのです。モノは使うものです。手や足を使う、鼻や目や舌も使うものです。脳もそうです。使うものです。

●この世は目に見えるものと目に見えないものでできている(1/6) - HMU 達弥西心

この世は目に見えるモノと目に見えないものでできているのです。目に見えるモノと目に見えないものということですが、人間の体は目に見えるものですから「モノ」だということです。

モノという定義は、何かこころのないもの、物質的なものというふうに思いますが、そうではなく、形のある物体、つまり目に見えるものを「モノ」と呼んでいるのです。

●変化し続ける(4/4) - HMU 達弥西心

成長するためには変化することしかありません。変化なくして成長することは絶対にありません。時間の経過とともに、いつもプラス方向へ変化しなければなりません。プラス方向への変化だけを成長と呼ぶのです。マイナス方向への変化を堕落といいます。プラスマイナス方向へは現状維持といいます。

成長するためには、プラス方向へ変化、変化、変化、絶えず変化しつづけることです。
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